病院での血液検査がほぼ合格点であることに気を良くして寄り道。
歌舞伎座裏にある『木挽町砂場』に初訪問し、朝とお昼を兼ねて天ぷらせいろを注文。
木挽町(こびきちょう)は、若い方々には馴染みがないだろうが、
現在の歌舞伎座周辺の旧町名だ。
江戸時代初期に江戸城大修繕の際に木挽が多く住んだことに由来するようだ。
午前11時30分、店に入ると男女二人連れの客ひと組が居た。
場所柄、平日は混み合いそうだが、訪問時は土曜日。
しかも11時30分だったので帰るまで静かな店内で食した。
壁には歌舞伎座の絵が飾ってあった。
天ぷらせいろは、二つに仕切られたお弁当箱のような漆器に盛られて運ばれてきた。
海老2本、ピーマン、シシトウ、椎茸の天ぷらで、
しかも銀座で1,600円はいい感じだ。
かろうじて、細々とした柳が銀座の風情を醸し出していた。
世の中はクリスマスカラーに彩られているようだが、夜歩きしないのでイルミネーションを見ることもなくクリスマスの実感がない。
ドキドキもウキウキも、ワクワクもない。
長年サンタさんが来た様子もないまま気がつけば62歳だ。
そんな時、クリスチャンでもないのに日本橋教会の日曜学校に行き、讃美歌を歌っていた幼い頃を思い出していた。
あの頃はゲームといえばかるた、トランプぐらいしかなかったから日曜日は暇をもてあましていた。
4歳離れた姉が私の子守役だったから、仕方なく私の手を引いて清洲橋通りの向こう側にある教会に毎週連れて行った。
聖堂で牧師さんからのお話を聞いたり歌を歌った後は、年齢ごとのクラスに分けられ確か畳敷きの部屋で、その年齢に合わせた説法を聞き、出席者には星型のキラキラのシールをもらいカードに貼り付けた。その数が増えるだけで嬉しかった。
復活祭には色付けしてあるゆで卵をもらっては喜んだ。
クリスマスの劇では迷える子羊役をやった。
姉はマリア様役で、幼いながらもズルイと思ったりした。
少し大きくなって姉も行かなくなったら私も行かなくなった。
ずっと姉の後を付いていたけど、会えなくなってもう37年。
とっくに姉の年齢を越し、あちらで会えたら年取りすぎた私のことも気がつかず通り過ぎてしまうのではないだろうか。
遅いなぁと思ってるかもしれない。
でも、こちらでもう少しやることがある。
せめて東京オリンピックまでは生きたい。
クリスマスになるとそんな姉を思い出すのだった。
どちらさまも素敵なクリスマスでありますように!
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